理念開発
ゆるいパンツのゴムと理念のお話
「明日死んでもいいように、今日を生きよう。」よくそう言われるところをみると、僕だけじゃなく多くの人も、ついゆるんでしまう自分がときどきイヤになって、半年に一度くらいはこんな自戒の言葉を発するということだろう。
ところが僕の場合は、そんな戒めも安物のゴムのひものようにすぐゆるんでしまい、たいがいの日々は相変わらずしまりなく進んでいくし、日常を漫然と過ごしてしまう。人間はやっぱり不完全でそんなもんだろうな、とだらしない僕はそう思う。
でも、そんなだらしない人間でも、ゆるゆるのパンツはやっぱりすごく気持ち悪くて、これじゃ生まれたかいがないぞと、ときどき人生の指針みたいなものを考える。
ゆるゆるで無為に生きることに耐えられるほど、ぬるい人生に開き直ってしまえるほど、人間は強くはないのだ。
たとえば、年を重ねて自分がちょっとずつ錆びついてきているなあと思えば、「なにか新しいことにチャレンジしてみようかな」「そんな自分になりたいな」と考えたりする。特別なことじゃなく、ノドが乾いたら水が飲みたくなるくらい自然なことだ。
次に、「じゃあどんな新しいことをしようかな」と考えを進めていくと、指針みたいなものが一歩リアルになる。「いや待てよ。世の中が “それ新しいね”というトレンドみたいなことや、画期的な新しいことはオレにはできないし」と。
そして、「あ、そうか。古いことだって、平凡なことだってべつにいいんだよな。大事なのはそれをやるオレ自身が、その中に新しさを見出しているかどうかだ」と二歩深くなる。
彼の生きる指針みたいなものをまとめると、次のようになる。
「新しいことに挑む自分になりたい。新しさは、新しいことの中だけじゃなく、古いことありきたりなことの中にも、眠っている。新しさを掘り起こせる人間になる。」
この指針みたいなものは何かというと、彼自身が自分自身という人間を運営する上での、「運営理念」ということになる。
ゆるく流れていく人生かもしれないが、彼はいろんな局面でこの運営理念を心に浮かべて、ときどきは自分の理念にもとづいた自己選択をするだろう。
物事を見るときにできるだけ思い込みを取りのぞき、その中に「自分にとってのリアルな新しさ」があるかどうかを見きわめて、新しい自分づくりにときどき挑むのではないか。
つい慣性の法則で繰り返す日常に流されてしまいがちな人間が、その惰性にイヤケがさしてなんとか自分の人生の物語は自分で編集したい。そんな気持ちで築く「運営理念」は、会社でいう経営理念とおなじだと、僕は考えています。
人生は出会いの連続だ、というけれど、正確にいえば、「出会いと選択の連続」なのだ。偶然の出会いだけでは、人生はさほど変わらない。偶然の出会いというものは、生きていれば誰にでもルーティンであるものだからだ。
いろんな人や現象との偶然の出会いの中で、人は選択肢を提示されている。その事実に気づいている人だけが、節目節目で自分でいずれかを意識的に選びとり、その連なりにより人生の物語が自分の決定で編み上げられていく。
出会いは選択肢の提示なんだ、という事実に気づけない人は、偶然の出会いを自分を変えるきっかけにできずに、明日の朝も今日と変わらない自分とともに目覚めるしかない。
選択肢に気づく力。自分で選びとる力。物語を自分で編み上げる力。それは何かというと、理念にもとづく価値観という軸の力ではないか。選びとる力のことを、創造力といってもいいだろう。
以上が、私たちが社長に「経営理念をきちんと定めて、その上で事業戦略をリアルに練り上げましょう」とおすすめする理由です。
法人も人なので、理念を必要とするメカニズムは基本的に、一人の人間とおなじだと思うのですよ。